終戦と呼ぶのは不戦の決意(2009年8月15日)

懸案だったホームページのリニューアルが完了。昨日(14日)の午後9時には、新しいトップページ、新しい構成のこの欄にご案内できるようになりました。専門的には少しトラブルもあったようですが、その日のうちにほぼ解決。選挙前のこの時期に難題に取り組んでいただいた吉本俊宏氏とそのスタッフの方々、私の事務所のスタッフにも感謝。

さて、今日は終戦記念日。この日を「敗戦と呼ばずに終戦と呼ぶのは、見つめたくない過去を曖昧にしたがる日本人の悪い習性」などと批判する人もいますが、私はそうは思いません。「終戦」というのは、われわれが不戦を決意し、「戦争はもう終わり」ということを宣言する意味での終戦だからです。

と、敬虔な気持ちで今日を迎えましたが、午後からは選挙戦の現場に立ち戻って挨拶回りを続けました。午前中は街宣計画を練ったり、アンケートの回答などに時間を使いましたが、取りあえず自宅で過ごしました。実は解散予告から47日という長丁場の過酷な日程なので、公示直前の15日は陣営全体で休業することに決めていました。疲労がたまると事故の怖れもありますし、判断ミスも避けなければなりません。そのため事務局の中核的なスタッフに休養を取らせ、リフレッシュして本番に備えようと考えたからです。

私が動けば、何人かのスタッフが出勤せざるを得なくなります。じっとしているのが一番だったのですが、やはり動くことになりました。半日の休みの後、これから29日の最終日まで2週間、まっしぐらに進みます。

4年前の夏の出来事…選挙でなく(2009年8月14日)

今日がどういう日かというと、亡くなった母親の誕生日でした。大正14年(1925)生まれですから、生きていれば84歳ということになります。没年、命日は2005年12月ですから享年80。最近の女性の寿命では、まだ早い死といえるでしょう。

2005年は、前回総選挙の年です。まだ解散(8月9日)前の7月末に、名古屋であった旧知の方の出版お祝いの席に、母一人では心もとないので付き添って一緒に参加したのが、「歩ける母」と会った最後でした。ふだんは三重県の四日市市に住んでいて、総選挙が始まるので埼玉に出てこようとしていた矢先に自宅で倒れて、救急車で入院。腰を打って、後で分かったことですと股関節を骨折していました。どうにも痛くて、四日市の友人たちには訴えていたというのですが、総選挙の公示を控えていた私には「大丈夫だから」と言うのみでした。

1週間くらい入院していても、なお痛みがとれないというので、結局、私の地元の病院に連れてくることにしました。といっても、もう選挙は始まっていましたので私自身はどうにもならず、甥と事務所スタッフが車で迎えに行きました。

まる一日かけて病院に着いた母を見ると、思った以上の症状で、その後の院長の診断で骨折と分かり、転院して手術が必要とのこと。「どこへ?」「この辺りは埼玉医大だけど…」と口ごもる院長。もちろん、今、戦っている相手の関係先だから私が承知するはずがないと思ってのこと。結局、東京/新宿の国際医療センター病院で手術をして貰うことにし、転院は投票翌日と決まりました。

前回総選挙の結果は、落選。議席を失って最初の仕事が母親の介護になりました。亡くなるまでの経緯はここで語ることではありませんが、手術は成功したもののリハビリ中に再び転倒して、以後は容体が悪化。11月21日に国際医療センターから地元の病院に戻りました。執刀した主治医の先生も地元の院長も何も言いませんが、それは最期を迎えるための措置であることは暗黙の了解でした。そして1ヵ月後に息を引き取りました。

私にとって悔いが残るのは、母の骨折、入院、手術が、解散・公示・落選、さらには10月23日におこなわれた鶴ヶ島市議の補欠選挙と重なったため、十分な心配りが出来なかったことです。これについては19歳のときに亡くなった父への看病についてと同様、生涯、心にかかる雲となるでしょう。

しかし、反面、十分な達成感もありました。9月12日の東京転院から70日に及ぶ期間、ほぼ毎日、往復4時間かけて母の病室に通いました。病室にいても何も出来ないのですが、また、補選の準備や選挙の指揮もしなくてはなりませんから長い時間はいられないのですが、それでも母と濃密な時間を過ごすことが出来たからです。

車椅子を押して近くの戸山公園を一周したり、リハビリ中の再転倒後は一日一日、症状が悪化していく様子に為すすべもなく立ち尽くしていたり。また、みずからを内省する機会でもありました。何十年も続くであろう介護の現実と向きあい、政治活動と折り合いがつけられるどうかと思うことも(人には決して言いませんでしたが)、一再ならずのことでした。

    *    *    *

ちょうど4年前の夏には、こんなことがあったのです。事実上の任期満了となった今回の総選挙は、私個人にとっては「亡母の弔い合戦」でもあるのです。また、母親が遺してくれた、否、みずからの命と引きかえに与えてくれた、「政治を続ける選択」に結果を出さねばならない戦いでもあります。もちろん個人的動機で公人としての活動が左右されるはずもありませんが、私が「この議席」に寄せる思いの一端としては、ご理解もいただけるのではないでしょうか。

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