事務所開きのご案内(第84回2009年9月29日)

民主党埼玉10区総支部、近藤しげる後援会、田口ゆきお後援会は、このたび鶴ヶ島市新町に合同で事務所を開設することになりました。つきましては、10月4日の午後1時から、「事務所開き」のセレモニーをおこなうことにいたします。ご多用中とは存じますが、何卒、ご参加くださいますよう、お願い申し上げます。

 

鶴ヶ島合同事務所「事務所開き」

 

とき  2009年10月4日(日)午後1時

ところ 鶴ヶ島合同事務所(下記参照)

 

鶴ヶ島合同事務所地図

 

民主党・近藤しげる・田口ゆきお合同事務所

住所 鶴ヶ島市新町2-24-9(〒350-2227)

電話 民主党 049-271-8200

近藤事務所 049-271-6626

田口事務所 049-271-6627

FAX 共通 049-271-6628

月曜クラブのご案内(第83回2009年9月25日)

8月30日の「政権交代選挙」で、小選挙区当選、埼玉10区ただ1人の代表という結果が確定して以来、ほぼ4週間が経過しました。この間、9月16日には特別国会で鳩山由紀夫代表の首班指名選挙に臨み、同日、つつがなく鳩山由紀夫内閣が発足しました。

公職選挙法は、当選の御礼状を差し出すことも、祝勝会を催すことも、明文で禁止していますので、ご連絡を申し上げることが出来ず、失礼いたしました。「小さな違反も犯さない」をモットーに選挙戦を戦って参りました私の陣営ですので、この段、ご海容たまわりたいと存じます。

さて、今回ご案内をいたしますのは、これから定例的に開催いたします「月曜クラブ」の発足についてとなります。月に1〜2回、必ず私が出席いたしまして、国会報告、政策解説、10区内の諸情勢(選挙をふくむ)などにつきお話をさせていただき、また皆さま方からもご意見を伺わせていただくフォーラム(≒車座集会)です。初回は東松山で開催いたしますが、坂戸・鶴ヶ島と交互に予定をいたします。ふるってご参加くださいますよう、ご案内を申し上げます。

 

第1回月曜クラブ(東松山)

 

とき 9月28日(月)午後1時より

ところ 東松山/ホテル紫雲閣

東松山市箭弓町2-5-14 TEL 0493-23-5151

東松山駅西口より徒歩7分

ひよう 200円(飲物+茶菓代)

 

なお、土・日でないとご参加が難しい方もいらっしゃいますので、土・日に開催する行事も企画いたします。近日雑感(2009年9月7日)に記載しました「10月初旬に対話&バーベキュー集会」は取りやめ、来年の夏に盛大におこなうことにいたしました。

お問い合わせ等は、TEL 049-284-5554、FAX 284-5777番へ。

国会事務所を開設(第82回2009年9月19日)

 衆議院議員に当選したことにより、松崎哲久事務所は東京/永田町の国会議事堂裏にある「衆議院第2議員会館」にも新しい事務所を開設しました。地番、TEL等は下記のとおりです。

 

〒100-8982  千代田区永田町 2-1-2 第2議員会館434号室

電話 03-3581-5111(内)7434他、FAX 03-3508-3914

(上の代表番号へかけて「松崎哲久議員」といえば、空いている内線につながります)

鶴ヶ島市長選、市議補選に候補者擁立(第81回2009年9月16日)

民主党埼玉県連は10月18日告示、25日投開票の日程で執行される鶴ヶ島市長選挙に、市内上広谷在住の近藤茂(しげる)氏を推薦候補として擁立することを決定。また同日選挙となる市議会議員補欠選挙に立候補する市内富士見在住の田口幸央(ゆきお)氏の公認も決定しました。

近藤茂氏は1999年から2003年まで鶴ヶ島市議会議員を務め、現在は市の社会教育委員会議長の任にあります。職業はソフト開発会社の役員で、学童保育室を運営するNPO法人理事長も務めています。

田口幸央氏は東京大学農学部林産学科を卒業後、大日本印刷(株)に入社。昨年、関連会社を定年退職するまで40年間のサラリーマン生活でした。その間、富士見の若葉台第2住宅自治会長、富士見中学校PTA会長などを務めて、地域社会にも貢献してきました。

この選挙に対する民主党の考え方、両氏の主張、プロフィールの詳細、事務所等については、追ってこの欄その他に掲載いたします。

歴史が変わる日(2009年9月16日)

第172回特別国会の召集日。午前10時から「当選証書の対照」があり、議員バッジを貰います。これが「初登院」というセレモニーで、新聞・テレビが話題の議員たちに殺到するシーンが今回も繰り広げられました。同じ頃、自民党の麻生内閣が総辞職し、首相官邸から去っていきました。テレビで、日の丸の小旗を振って「麻生さん、ありがとう!」と声をかけている人たちの集団を見ました。麻生氏は車から降りて笑顔で応じていたのですが……、小旗が用意されていたことといい、そこにカメラが待っていたことといい、「動員」によるヤラセであることは明らかです。その演出に対してニコニコするのは構いませんが、「オレには人気がある」と思い込んだとしたら、間違いのもとになるのは明らかです。麻生氏って、そして最近の自民党って、要するにこういう勘違いで民意を読み誤っていたということでしょう。

12時半から代議士会、1時から本会議。野党時代は国会議事堂の2階裏側の第4控室で代議士会が開かれていましたが、今回からは表側の第14控室。マスコミでも再三とり上げられたように、与野党逆転にともなう「城明け渡し」の象徴がこの14控室なのです。椅子は300席以上あると聞いていましたが、まさにスシ詰め状態。それでも、誰も文句を言う人はいません。

開会の定刻を前に本会議場に移動しましたが、議長席の正面後段に、私の議席があり、懐かしい名札が立っていました。漆塗りで、1回1回削って書き直すと聞いていましたが、近くの議員たちとも話し合った結果、これは落選前のものと同じではないかという印象を持っています。私たちの議席の前方には初当選議員たちの議席があり、それらの人たちの名札とは明らかに字体が違っているからです。つまり書き手が異なるはずで、私の名札は前回在職中の字体と変わっていませんでした。

本会議の所要時間は約2時間。議長選挙(民主党の横路孝弘代議士)、副議長選挙(自民党の衛藤征士郎代議士)と続き、最後の堂々めぐりが首班指名選挙。よく「死に票」といいますが、今まで民主党は書いても書いても死屍累々の結果をもたらしていましたが、今度こそ、「鳩山由紀夫」と書いた票が生きるのです。480の定数どおりの票が投じられ、鳩山由紀夫327、若林正俊(自)119、山口那津男(公)21、志位和夫(共)9、平沼赳夫4で、鳩山代表の指名が決まりました。

後世、「誰?」といわれるだろう人もいますが、鳩山代表の327には意味があります。いわゆる3分の2条項を満たしているからですし、渡辺喜美氏らの「みんなの党」がその内に含まれること、公明党が1991年以来18年ぶりに自党の委員長に投票したことも、ゆくゆく大きな影響力をもつ可能性があります。

いずれにしても鳩山由紀夫内閣が誕生しました。午後7時、皇居で首相任命式と閣僚の認証式がおこなわれ、鳩山首相と新大臣たちに日本の国家経営が委ねられました。日本の歴史が変わります。今日から、新しい政治が始まるのです。(その頃、私は埼玉県の国会議員団の会合に出ていました)

あす、政権交代。(2009年9月15日)

2時から新人・元職議員のガイダンス、5時から両院議員総会がありました。鳩山由紀夫代表は、演壇に立ち、あす16日、午後1時からの本会議で内閣首班(総理大臣)に指名される日程を受けて、並々ならぬ決意のほどを衆議院議員312名(統一会派を組む4名を含む)、参議院議員118名、計420名の前で披瀝しました(本人を除くと419名)。

総選挙後、上京禁止令が出ていたため、この会場で初めて会う旧知の前職・元職も多く、また新人議員の大半は見知らぬ顔でしたが、比例単独候補の中には、数回前の総選挙をともに戦い、落選を続けて公認基準に合致せずに断念した仲間などもいて、今さらながら「308議席」の破壊力を思い知りました。以下、前回から昨日までの要点を摘記。

9月8日(火)

朝一番に熊谷に行き、上尾、大宮、北浦和、浦和、指扇、鶴瀬、新狭山と、10区外にある支援組織を一巡。地元優先指令が出ていたので、県内のこういう挨拶も1週間後になってしまいました。

実は、最近、時間と力を傾注していることがあります。10月25日に執行される鶴ヶ島の市長選挙と、同日の市議補選への候補者擁立工作です。この稿は、9月15日にまとめて誌しているので書けるのですが、16日朝刊での発表まで極秘に進行する必要がありました。経緯・争点等は別稿に譲りますが、7月21日の解散以前からほぼ固まっていた人選の最後の詰めを、9月に入ってから精力的におこなう必要がありました。市長選に擁立する近藤茂氏も、補選の田口幸央(ゆきお)氏も、事前に名前が洩れれば影響力のある人たちですから、慎重に、慎重に事を運んでいたのです。

9月11日(金)

横浜にある亡父・亡母の墓参り。亡父のお墓は永らく静岡県小山町の冨士霊園にありましたが、亡母の埋葬を機に、兄にゆかりの深い横浜市青葉区の霊園に改葬しました。「期せずして」と言わねばなりませんが、この日は4年前の落選の日。母の亡くなった前後のことは8月14日の欄に誌した通りですので、感慨ふかく、香煙の立ちのぼるのを見ていました。

9月13日(日)

8時30分から総支部の常任幹事会。通常は隔週1回のペースで開いている地方議員総参加の会議ですが、解散後は選対会議の形にして各地の後援会長さんとの合同会議にしていました。したがって常任幹事会としては久し振りの開催でした。議題は、鶴ヶ島市長選と同市議補選の候補者擁立の件や、今後の行事などで盛りだくさん。予定を大幅にオーバーして11時すぎまでかかりました。

午後から、東京/浜松町の四季劇場で『南十字星』の初日。この作品は私が現職の時代に台本執筆に関わったミュージカルで(2004年9月初演)、登場人物の発する一言、一句にも、深い、深い、思いが込められています。その思いを、舞台を観ながら確認しつつ、自分で書いた台詞に涙していました(9月27日まで上演していますので、是非、ご覧ください)。

終演後、舞台裏手の楽屋で主演の阿久津陽一郎さんや、秋夢子さんらを激励。劇団四季では私は「作家の湯川裕光」なのですが、最近の若い人たち、新しい俳優たちを別にすれば、もちろん「衆議院議員松崎哲久」であることも分かっていて、「おめでとうございます」の嵐。その後、浅利慶太代表の部屋でビールで乾杯。鳩山幸(みゆき)夫人やご子息の紀一郎さんのこと、四季の今後の上演作品や、亡くなった三木たかしさん(『南十字星』や『異国の丘』を含め、多くの四季ミュージカルを作曲)の思い出など話題は尽きず、私が数年ぶりに舞台芸術の世界に戻ったひとときでした。

9月14日(月)

午前中、東京/浜松町のある会社へ行って、会長に祝電を頂いたご挨拶。経団連の中では民主党に理解がある方で、党大会で祝辞を述べていただいたこともあります。もう一社、やはり浜松町の会社の相談役にも祝電を頂いたので、御礼に伺ったのですが、劇団四季も含めて浜松町つながりで効率的に予定を組もうとした思惑は見事に外れ、結局、3回、3日間が別々の日になってしまいました。

午後、地元で市長選・市議補選の根回し。1時半から川越の記者クラブで会見。その後は東京に取って返し、浜松町の自由劇場で『鹿鳴館』の初日。私の妻はこの作品が大好きで、三島由紀夫の絢爛たる言葉、言葉、言葉の芸術に、何度観ても感心しています。私は、村松暎子さんや佐久間良子さんなどが主演した(四季以外の)舞台も多く観てきましたが、この作品は野村玲子(りょうこ)さんのために作られたのではとの錯覚をもつほどに思えます。もちろん三島さんは玲子さんを知る由もないし、村松さんや佐久間さんがお気に入りだったのも知っていますが。

四季の『鹿鳴館』は装置もいいし、衣裳も抜群。そういえば隣の席は、衣裳担当の森英恵さんでした。

SSCを拡大強化(2009年9月7日)

民主党政権の誕生は、どうやら9月16日ということに固まったようです。小沢幹事長、菅副総理兼国家戦略担当大臣、岡田外務大臣などの重要閣僚が内定したとの報道もありますが、われら返り咲き組はそれも新聞で読む程度。議員会館も議員宿舎も何も決まらず、来週の初登院までに準備が整うかどうか。他方で日程はどんどん入ってくるので、引越しなどは特別国会が終わってからになりそうです。

午後1時からはSSCの月初定例会。SSCとは今回の選挙戦の成功の原動力となった強力ボランティア集団で、シニア・サポーターズ・クラブの略。現役をリタイアした方たちが、知恵と経験と情熱を私のためにいかんなく発揮していただいたことに、感謝は言葉で尽くせないほどでした。その首唱者だった佐藤尚武10区後援会長が、冒頭、「目的を達したので発展的解散」を提案したので、甲論乙駁の議論百出。皆さん、一騎当千のつわものですし、自由闊達に物言う雰囲気がSSCのよいところだと私は思っていますが、最終的に、会長の真意が「発展的に」というところにあることが分かって了承。

SSCが一応の目的を達したのは事実ですが、当選=国政復帰を果たした今だからこそ、SSCの皆さんが代表する市民・町民の意志を、私を媒介して国政に汲み上げる役割を果たす意義(トピックス第69回「趣意書」参照)は高まるばかりです。ただ、SSCという強力なるがゆえに限定されたメンバーでなく、今後は地域の後援会や党員・サポーターにも加わっていただく形で、もっと広く、もっと深く、組織が再編できたらいいと私も思います。

そこで、佐藤会長の「発展的解散」を受け容れる形で「拡大強化」を図り、後援会主催の「月曜クラブ」を開催することにしました。原則として隔週1回、東松山と坂戸で交互に開きます。また、平日ですと集まりにくい方たちのために、土曜または日曜日の会も設けます。月曜クラブを Monday Supporters Club = MSC 、日曜の会を Sunday Supporters Club = SSC と略称するようになるかどうかは、今後の課題です。

ともかく第1回の月曜クラブは9月28日(月)、東松山ですが場所未定。第2回は10月26日(月)、坂戸ですが、場所未定。いずれも午後1時からということで、詳細は「トピックス」欄に近日中に掲載します。また、8月2日に開催予定で総選挙のために延期していた「対話&バーベキュー」集会を10月初旬に計画中で、これも近日中に「トピックス」欄でご案内させていただく予定です。

第45回衆議院議員総選挙資料

選挙公報

選挙公報

法定ビラ

法定ビラ表法定ビラ裏

選挙はがき

選挙はがき表選挙はがき裏

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怒濤の1週間(2009年9月5日)

8月30日の投票、そして開票の後は、怒濤の1週間でした。党本部からは上京を禁じる通達があり、しばらく地元活動を継続するよう指示されています。国会活動、すなわち「政権交代。」の実を極める活動に着手する前夜の状況から、9月の「雑感」を始めたいと思います。

8月30日(日)

当日、午前中に投票を済ませ、午後、事務所へ立ち寄って整理やゴミ片付けの手伝いをした後、いったん帰宅。7時のニュースなどで投票率の上昇を確認した上で、7時半に再度、事務所に向かいました。支援者の皆さんには8時集合とお声かけしていましたが、すでに沢山の方々がお見えでした。

最近、8時の開票終了と同時に当確が出るケースもありますが、私の場合はそんなことはないだろうと思いつつ皆さんと一緒にテレビを囲みました。ところが8時2分にTBSとテレビ埼玉が当確を打ったのでビックリ(後で、テレビ朝日もその頃だと聞きました)。支援者の皆さんも全員集合していなかったので、とりあえず、NHKを待つことにしましたが、どんどん人は増えるしで、結局、9時25分に万歳を三唱しました。

万歳三唱の際、候補者本人も一緒に万歳するケースと、本人は御礼の意味で頭を下げるケースがあります。私は事前に皆さんにお話をしました。「小選挙区当選の結果は、長期間にわたるプロジェクトを共に戦い抜いた、皆さんとの共同作業の成果として実現したもの。だから皆さんと一緒に、私も万歳をしたいと思います」と。

その後も千客万来。深夜になって、さすがに集う人が少なくなっても私たちは待ち続けました。開票立会人として各市・各町に2人ずつ、議員や後援会幹部を派遣しているからです。例年の通り比例の開票よりも小選挙区の開票は早く終わりましたが、最高裁判所裁判官の国民審査があって、すべてが終わったのは午前2時頃。最も時間がかかった立会人が戻ってくるのを待って、もう1回、万歳三唱。その頃までには比例区北関東ブロックの結果も確定していましたので、この日は2時半で事務所を後にしました。

8月31日(月)

開票の翌日は、早朝から駅に立つのが民主党の文化です。私も、前回までは当落にかかわらず駅に立って御礼の挨拶をしてきました(ちなみに、投票前日は深夜12時まで立つのが文化で、今年も北坂戸駅に立ちました)。ところが、今年はどうしたものかと、開票が進むにつれて迷うようになりました。自民党の前職が比例の復活当選ラインにも及ばなかったことを知って、その迷いを断ち切り、「立たない」ことを決めました。

私の選挙区は保守的といわれます。自民党が盤石の地盤をもっていると、相手方の支援者だけでなく、首長も行政も、新聞記者も、当方の支持者すら思っているのです。私は、そんなことはないと思いましたし、この選挙の結果が、それを証明しています。一見、盤石と思われる保守地盤であっても、地殻変動が起こってしまうくらいの失政を自民党がしてきたから、この結果が出たのです。

しかし、保守的と思われている風土には、その前提で流れる情緒があります。私が当選の翌朝に駅立ちをしないことを決めたのは、この情緒を理解するところから、次の選挙を始めなければならないと思うからです。

私は55.1%の得票率(相対)で小選挙区で勝利を収めましたが、絶対得票率(得票数を全有権者を分母として割ったもの)を考えると37.6%です。しかも、自民前職にも28.9%が入っているのです。私が当選翌朝に駅に立てば、「おめでとう」「よかったね」と言ってくださる方が多い反面、3割近くの方は「意外な結果」を快く思われていないに違いありません。それらの方々は、私の立ち姿を「勝ち誇っている」と受けとめてしまうでしょう。また、そういう風土なのですから、そのことが「埼玉10区のただ一人の代表」としての立ち位置に、プラスに作用するとは思えないのです。(相対得票率とは有効投票数に対するもの)

というわけで、今週1週間、私は駅立ちを中止しました。もっとも、今後も駅に立たないわけでなく、来週から、「日常の駅立ち」を再開します。選挙前のこの欄にも書きましたが、もともと駅立ちとは日常の活動として継続してこそ意味があると思っています。選挙の間際になってから、騒々しく多人数で駅に立つのは「駅立ち」の本来の姿ではありません。私は私の流儀で、日常の活動を続けてまいります。

9月1日(火)

午後1時半に、県庁で「当選証書」の交付式がありました。私は代理受領しましたが、証書が到着するのを待って、東松山事務所で看板掲示式をおこないました。(トピックス第80回参照)

4年前に心ならずも撤去せざるを得なかった「衆議院議員 松崎哲久事務所」の看板には特別の思い入れがありました。分厚い木製の板に、墨字でくっきりと書かれた看板は2004年の3月に開設した東松山事務所に掲げていたもので、当時の小沢一郎副代表を迎えて事務所開きのセレモニーもおこないました。翌年9月の郵政選挙で議席を失いましたが、それを今、再び掲示できたのです。この字を書いて下さったSさんも駆けつけて、一緒に喜んでくださいました。

9月2日(水)〜4日(金)

地元の挨拶回り、事務所の片付け、今後の活動体制の検討などに時間を費やす。その中で、2日の4時からは行田邦子参議院議員の久保田秘書、家西悟参議院議員の叶秘書と引き継ぎをしました。お二人には長期間にわたり常駐で、東松山事務所と坂戸事務所の実務を応援して貰ったのです。日常活動のスタッフに、選挙の本番中に獅子奮迅の活躍をして貰うための必要不可欠の後方支援でした。感謝。

9月5日(土)

午前中、選挙会計の収支報告書の準備が進んでいるので、目を通す。公職選挙法は実際に選挙をやったことがない人が法律を作っているので、実務に則さない不都合な規定が多いのです。(公選法に議員立法が多いのは事実ですが、実態は自治省・総務省の官僚が関わっています)

それでも規定どおりにキチンと処理しないと、指弾されてしまうミスを犯すかも知れません。細心の注意を払って作業をチェックしているのですが、14日以内に報告というのは忙しすぎます。

ついに、「政権交代。」(第80回2009年9月5日)

8月30日の総選挙で、民主党は小選挙区で221議席、比例区で87議席を獲得。合計308議席で、計140議席の自民(119)、公明(21)を圧倒。政権交代が実現し、9月中旬には鳩山由紀夫内閣が成立することに決まりました。

松崎哲久候補は12万3089票を獲得し、山口泰明候補の9万4779票(惜敗率は77.0%)を大きく引き離して、当選2回目を小選挙区勝利で飾りました。ちなみに山口候補は比例北関東ブロック6人当選のところ、8番目。自民党埼玉県連会長が議席を失う結果に衝撃が走っています。各候補の市町別の投票率と得票数は下記の通りです。

当選証書&事務所看板

看板を掲示する松崎代議士と佐藤尚武10区後援会長

埼玉10区での当選を果たした松崎哲久候補は、9月1日午後1時半、県庁で「当選証書」の交付を受けて、晴れて「元」がとれ、「衆議院議員」となりました。

午後4時、東松山市材木町(まるひろ通り)の松崎事務所には松崎代議士を囲み、多くの支援者の方々が待ち受けていました。「看板掲示式」に臨むためです。そして佐藤尚武10区後援会長が「当選証書」を持ち帰ると同時に、「衆議院議員 松崎哲久事務所」と墨書きした看板を再掲示しました。これは4年前、心ならずも撤去せざるを得なかったものなのです。看板をかけ終わった松崎代議士は、「当選した以上は支援者だけの代表でも、民主党代議士でもなく、埼玉10区の住民全体を代表する代議士として活動して参りたい」と述べ、拍手を浴びました。


第45回衆議院議員総選挙(2009年8月30日執行)

埼玉県第10区小選挙区
市町村 有権者数 投票者数 投票率 松崎哲久 山口泰明 町田貴志
東松山市 72,032 49,917 69.30 28,229 19,122 1,224
坂戸市 81,095 55,717 68.71 29,772 23,076 1,421
鶴ヶ島市 56,075 38,443 68.56 21,828 14,376 1,015
滑川町 13,120 9,299 70.88 5,018 3,817 207
嵐山町 15,712 11,187 71.20 5,882 4,813 249
小川町 28,784 20,851 72.44 10,908 8,981 406
川島町 18,433 13,351 72.43 5,536 7,334 223
吉見町 17,791 12,466 70.07 5,954 5,884 292
鳩山町 13,425 10,116 75.35 5,916 3,752 222
ときがわ町 10,887 7,978 73.28 4,046 3,624 143
 計 327,354 229,325 70.05 123,089 94,779 5,402
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