あす、政権交代。(2009年9月15日)

2時から新人・元職議員のガイダンス、5時から両院議員総会がありました。鳩山由紀夫代表は、演壇に立ち、あす16日、午後1時からの本会議で内閣首班(総理大臣)に指名される日程を受けて、並々ならぬ決意のほどを衆議院議員312名(統一会派を組む4名を含む)、参議院議員118名、計420名の前で披瀝しました(本人を除くと419名)。

総選挙後、上京禁止令が出ていたため、この会場で初めて会う旧知の前職・元職も多く、また新人議員の大半は見知らぬ顔でしたが、比例単独候補の中には、数回前の総選挙をともに戦い、落選を続けて公認基準に合致せずに断念した仲間などもいて、今さらながら「308議席」の破壊力を思い知りました。以下、前回から昨日までの要点を摘記。

9月8日(火)

朝一番に熊谷に行き、上尾、大宮、北浦和、浦和、指扇、鶴瀬、新狭山と、10区外にある支援組織を一巡。地元優先指令が出ていたので、県内のこういう挨拶も1週間後になってしまいました。

実は、最近、時間と力を傾注していることがあります。10月25日に執行される鶴ヶ島の市長選挙と、同日の市議補選への候補者擁立工作です。この稿は、9月15日にまとめて誌しているので書けるのですが、16日朝刊での発表まで極秘に進行する必要がありました。経緯・争点等は別稿に譲りますが、7月21日の解散以前からほぼ固まっていた人選の最後の詰めを、9月に入ってから精力的におこなう必要がありました。市長選に擁立する近藤茂氏も、補選の田口幸央(ゆきお)氏も、事前に名前が洩れれば影響力のある人たちですから、慎重に、慎重に事を運んでいたのです。

9月11日(金)

横浜にある亡父・亡母の墓参り。亡父のお墓は永らく静岡県小山町の冨士霊園にありましたが、亡母の埋葬を機に、兄にゆかりの深い横浜市青葉区の霊園に改葬しました。「期せずして」と言わねばなりませんが、この日は4年前の落選の日。母の亡くなった前後のことは8月14日の欄に誌した通りですので、感慨ふかく、香煙の立ちのぼるのを見ていました。

9月13日(日)

8時30分から総支部の常任幹事会。通常は隔週1回のペースで開いている地方議員総参加の会議ですが、解散後は選対会議の形にして各地の後援会長さんとの合同会議にしていました。したがって常任幹事会としては久し振りの開催でした。議題は、鶴ヶ島市長選と同市議補選の候補者擁立の件や、今後の行事などで盛りだくさん。予定を大幅にオーバーして11時すぎまでかかりました。

午後から、東京/浜松町の四季劇場で『南十字星』の初日。この作品は私が現職の時代に台本執筆に関わったミュージカルで(2004年9月初演)、登場人物の発する一言、一句にも、深い、深い、思いが込められています。その思いを、舞台を観ながら確認しつつ、自分で書いた台詞に涙していました(9月27日まで上演していますので、是非、ご覧ください)。

終演後、舞台裏手の楽屋で主演の阿久津陽一郎さんや、秋夢子さんらを激励。劇団四季では私は「作家の湯川裕光」なのですが、最近の若い人たち、新しい俳優たちを別にすれば、もちろん「衆議院議員松崎哲久」であることも分かっていて、「おめでとうございます」の嵐。その後、浅利慶太代表の部屋でビールで乾杯。鳩山幸(みゆき)夫人やご子息の紀一郎さんのこと、四季の今後の上演作品や、亡くなった三木たかしさん(『南十字星』や『異国の丘』を含め、多くの四季ミュージカルを作曲)の思い出など話題は尽きず、私が数年ぶりに舞台芸術の世界に戻ったひとときでした。

9月14日(月)

午前中、東京/浜松町のある会社へ行って、会長に祝電を頂いたご挨拶。経団連の中では民主党に理解がある方で、党大会で祝辞を述べていただいたこともあります。もう一社、やはり浜松町の会社の相談役にも祝電を頂いたので、御礼に伺ったのですが、劇団四季も含めて浜松町つながりで効率的に予定を組もうとした思惑は見事に外れ、結局、3回、3日間が別々の日になってしまいました。

午後、地元で市長選・市議補選の根回し。1時半から川越の記者クラブで会見。その後は東京に取って返し、浜松町の自由劇場で『鹿鳴館』の初日。私の妻はこの作品が大好きで、三島由紀夫の絢爛たる言葉、言葉、言葉の芸術に、何度観ても感心しています。私は、村松暎子さんや佐久間良子さんなどが主演した(四季以外の)舞台も多く観てきましたが、この作品は野村玲子(りょうこ)さんのために作られたのではとの錯覚をもつほどに思えます。もちろん三島さんは玲子さんを知る由もないし、村松さんや佐久間さんがお気に入りだったのも知っていますが。

四季の『鹿鳴館』は装置もいいし、衣裳も抜群。そういえば隣の席は、衣裳担当の森英恵さんでした。

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