年初にあたり民主党政権の再生を期します(2011年1月1日)

昔、受験英語を学んだとき、Compromise is the essence of democracy in England(英国では、「妥協」が民主政治の精髄である)という一文を見て憤慨したことを思い出します。日本が近代化を達成したものの、軍国主義による敗戦の蹉跌を経て初めて獲得した民主主義の理想を、何かおとしめられたように感じたからでしょう。

その言葉を今、改めて思い出すとともに、成る程、深い意味があったのだと、噛みしめています。社会人として長い経験を積む中で、1)理想を追い求めることの大切さと、2)その理想は実現されないと意味がないこと、3)実現するためには理想を主張するだけでなく、反対する相手と合意する必要がある――ということを身をもって体験してきたからです。

一昨年の9月に政権交代が実現して以降、民主党の掲げた種々の理想を信じて投票して下さった支持者の皆さまに応えるために、民主党政権は気負って、理想をマニフェスト通りに実現しようと急ぎました。…そして鳩山内閣は倒れ、続く菅内閣は「脱小沢」に走り、野党対策の妙手も見いだせないまま支持率も20%台に落ち込み、息も絶えだえで新年を迎えてしまいました。

私は、民主党が掲げた改革の理想は正しいと、今も思っています。しかし、改革を推進するには抵抗勢力が生じます。改革の結果で損する人だけでなく、改革の道筋(たとえば財源論)について信念をもっている人たちも抵抗側に転じてしまう可能性があります。

官僚がその典型です。官僚は「利益」を失う意味でも抵抗勢力たりうるし、みずから為してきたことを否定されたくないという意味でも、自分たちのやり方を貫きたいという観点でも、改革に逆行する拠点となる怖れは否めません。

改革の理想は正しいが周到さに欠けると…

たとえば「天下り先」について。その温存が「利権」を守るためなら論外ですが、官僚もまた、生活者であることに変わりはありません。退職後の生活設計が成り立たなくなるほどに切り捨ててよい存在だとは思えないのです。戦後政治の中で官僚が機構として貢献してきた事実を否定することは建設的でなく、その有効活用を図るべきです。もちろん、新しい時代に即したやり方に頭を切り換えるよう、粘り強く説得することは必要でしょう。改革を進めるにあたって周到な準備のもとに目標を実現する役割を、官僚にこそ担って貰うことが賢明な策といえます。

既存の体制の中で仕事をしてきた業界、団体、地方自治体、さらには外国との接し方も同様です。民主党政権は、しばしば周到さに欠け、粘り強さに欠け、そして「妥協」を知らなかったために、今日の混迷の一因となったことを自覚し、反省すべきです。

妥協とは、立場が違う者どうしが、現実を一歩でも進めるために、「ここまでは」と譲るのを約束しあうことです。利害が対立する者――政治と官僚、政府と団体、大企業と個人、あるいは政党と政党が、対立する状況を少しでも解消するために、互いの主張をむき出しにすることを控えて、相手の立場を認めること。それが民主主義の原点にある思想のはずです。

達成されるべき政策も暗礁に乗り上げ

民主政治は、数で多数派を競います。しかし、一たん決まった数字を、関係する者たちの叡智によって改め直すことでもあります。民主党政権はこの点に失敗しました。鳩山内閣の閣僚たちが、粘り強さには無縁で、周到さに欠けた対応を繰り返したために、本来は達成されてもよかった政策すら暗礁に乗り上げてしまった例がいかに多かったか。平成22年度予算については、見かねた小沢幹事長(当時)が裁定して編成を終えたものの、その権力が強くなりすぎることを警戒した一部の勢力によって「反小沢」を大きな政治課題にされてしまう弊害を伴いました。

鳩山首相と小沢幹事長が共に辞任したのは、「政権交代。」の理想を貫くために、絶対に失ってはならない「参議院の過半数」を死守するためでした。しかし、その結果として得られた高支持率の回復を、菅首相はいとも簡単に手放してしまいました。何故なのか不可解ですが、それが現実に起きたことです。

結局、菅首相は「あつものに懲りてなますを吹く」の喩え通り、理想の旗そのものを降ろし始めてしまったのです。消費税率の引き上げに言及した「魔の6月17日」、そして国家戦略局の室への格下げや、予算編成のシーリング方式への回帰(「政権交代選挙」のマニフェストにおける予算の組み換え方式を諦めて)も同様です。そして脱小沢だけで支持率回復を図る「禁じ手」の魔力に取り憑かれてしまったようです。

年末、政権党にとって最重要課題は予算案の編成であることは政治の常識です。だからこそ連日のニュースは、その作業に最大の注目を寄せるのです。しかし、昨年末の記事は、「政倫審」一色に染まってしまいました。小沢前幹事長の「招致を議決?」、拒否をするなら「離党勧告?」などの見出しが踊り、予算案は霞んでしまう始末。小沢幹事長時代に目指された「陳情改革」も、平成23年度予算に向けては有効に機能したとはいえず、政策調査会の復活によって「族議員化」が忍び寄っているとも指摘されています。

今、民主党が「内輪もめしている場合でない」のは自明です。挙党体制こそ必要です。それなのに、2003年の民主党と自由党の合併以来、ともに手を携えて「政権交代。」を実現した仲間たちに、排除の論理を仕掛けているのです。私は1996年結党の「オリジナル民主党」のメンバーです。現在の民主党執行部も、その時から同じ目標を掲げて戦ってきた仲間です。今日の状況を憂える同志が、一人でも多いことを祈るばかりです。

衆議院議員 松崎哲久

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