民主党代表選結果(2010年9月14日)

 民主党代表選挙の結果はご承知の通りです。議員票が小沢候補200 vs. 菅候補206で、負けとはいえイーブンだったことが、せめてもの救いです。半分はいわゆる世論との乖離を自覚しながら、それでも、政策本意で選ぶ気骨があったということですから。

 全体の結果は、ポイント数では491 vs. 721でしたが、この差の理由は300ポイントの小選挙区集計が51 vs. 249と大差をつけられたからです。生の得票数は90,194 vs. 137,998で、小沢票の得票率は39.5%、地方議員の40 vs. 60と殆ど同じでした。

 残念だったのは、埼玉10区が365 vs. 369で4票差で1ポイント取れなかったこと。埼玉の15小選挙区のうち、中野譲代議士の14区だけポイントゲットですから仕方ないことは仕方ないとはいえ、10区総支部としては、面目ない結果でした。

代表選の投票に臨んで(2010年9月14日)

 運命の日。日本の、そして民主党の明日が、午後2時からの党大会で決まります。私自身は、小沢一郎選対の活動に全力を尽くしきったと自負していますので、いかなる結果であろうと、また元の静かな日々に戻ります。

 昨年の国政復帰後、私は国会・党と地元以外の活動はなるべく控えていましたが、今回の選挙ではラジオ・テレビ番組計10本に出演しました。ラ・テは昔取った杵柄(きねづか)です。それが陣営にとってプラスになると選対が判断し、要請されれば順うのが当然です。でも、戦いが終わって平時に戻れば、私の活動も日常に戻します。

 10時半から開かれた拡大議員班会議を終えて、余すところ2時間たらずです。

代表選挙は新会館の初仕事(2010年9月10日)

 代表選挙も目前に迫り、党所属の国会議員たちが両陣営さらには中立に分かれて、諸々の活動が繰り広げられています。

 その舞台は8月に移転が完了した新議員会館です。旧会館の狭い議員室は日常の打合わせにも不便でしたが、今回は各グループの会合や総決起集会すら、館内で開けました。

 豪華すぎるとか広すぎるというご批判もありますが(自民党政権時代に決まったこと)、完成した以上は有効に利用すべきです。

(『プレス民主』2010年9月10日発行 239号)

最終日の国会で…(2010年8月6日)

 今日は臨時国会の最終日。いつもながら会期末には独特の雰囲気があって、緊張感が走っています。議員も秘書も国会の事務局職員も、みんな時計を気にしながら、新しい議員会館の中を迷いながら走り回っています。この建物、動線を無視して設計されているとしか思えません。

 それにしても忙しい。朝から昼までに、自分で出席した会議だけで8つもありました。7時半の経済産業省税制改正ヒヤリング、8時半から防衛部会(正しくは部門会議)、9時から文科部会。10時半から文科理事会、40分から文科委員会。11時から「マニフェストの原点に帰る」集い。11時半に議院運営委員会の図書館小委員会。

 同じ11時半からのスポーツ議連で、7月に初当選した谷亮子さんの会長就任が決まりました。引退した田名部匡省前参議院議員(元・全日本アイスホッケーの監督)の後任ですが、決定までに多少の意見が出たので、明日のスポーツ紙やワイドショーはこの話で賑やかになるでしょう。

暑い夏の熱い戦い(2010年7月27日)

 臨時国会の召集が30日(金)に正式決定、29日午後には民主党の両院議員総会も開かれます。参院選後、その結果の大きさゆえに膠着していた政治が、ようやく動き出します。といっても本格的には、9月の代表選挙後を待つというのが今の永田町の雰囲気。嵐の前の凪の静けさが漂っています。

 反対に、地元は暑い夏の熱い戦い――東松山市長選挙が始まっています。28日(水)午後6時半から、環境大臣の小沢鋭仁衆議院議員が応援に駆けつけます。東松山市の「松山市民活動センター」(旧中央公民館)で、もちろん私も演説をする予定です。

週末は夏祭り(2010年7月25日)

 この週末は各地で夏祭りと盆踊りのラッシュです。その中で小川町の七夕は埼玉県下でも有名な、大きな催しで、2日間で6〜70万人の人出が見込まれています。ここで屋台(山車)の出発式に参加して鏡割をしたあと、坂戸、鶴ヶ島、東松山と回りました。

 東松山も大きなお祭りです。去年は事務所前に置いておいた「政権交代。」のシールが、瞬く間に3〜4千枚はけました。ところが今年は8時頃から豪雨になって、目抜き通りの私の事務所は雨宿りの若者たち3〜40人がスシ詰め状態に。騒ぎが終わってみれば、これまた思い出に残る夏の夜となりました。

県議補選は江野さん当選(2010年7月23日)

 私の地元では参院選に続いて2つ選挙があります。23日(金)告示の県議補選(東松山市)と、25日(日)告示の東松山市長選挙です。県議補選は10年来の盟友江野幸一さんを友情支援、市長選挙は現市議の松坂喜浩(よしひろ)さんを推薦しています。

 県議補選の江野さんを推薦でなく友情支援にとどめたのは、そうすれば無投票になる(或いは有力対抗馬が出ない)可能性が高かったからです。案の定、届出の事前審査段階では江野さん一人でした。市長選の松坂喜浩さんには、民主党だけでなく連合埼玉やボッシュ労組も推薦しています。

 江野さんは、23日、無投票当選が決まりました。出陣式には自民党の前代議士や県議もいて呉越同舟でしたが、午後5時に無投票が確定し、候補者が1日だけの街宣活動から帰着した後の当選報告会にはその姿は無し。どうして? ちょっと不思議。

お中元で市議が失職(2010年7月22日)

 埼玉県の所沢市議の1人(民主党ではありません)が、2,500円のお中元を配って公職選挙法違反に問われ、最高裁で有罪が確定して失職しました。以前、自民党県議が5,000円相当のサラダ油セットで失職しましたが、要するに金額ではないということです。

 私自身がこのような違反を犯すことはあり得ませんが、それでも最初の頃は、社会慣習とのギャップに悩みました。知人、恩ある方々を訪問する際のちょっとした手みやげやお祭りの寄付も違反だからです。お通夜にも葬儀にも行けない時、お香典を妻に託す事もできません。

 本人持参に限るからです。しかも、本人が後日弔問しても、お香典を差し出せば違反になります。趣旨は、それを認めれば際限なく現金授受が広がるからです。金のかからない選挙の為に正しいとはいえ、規制を知らない方々からは「礼儀知らず」と思われてしまいます。

本当に民主党政権?(2010年7月17日)

国家戦略局を断念? 概算要求基準(シーリング)を復活? え、これって本当に「民主党政権」なの? まるで「財務省政権」じゃないか。いったいどうなっているのか、不可解な事ばかり起きます。

前回の参院選の後、当時の小沢代表は福田首相と大連立構想を進めて大騒ぎになりました。選挙に勝っての政権交代を描いていた幹部たちは「民主党には政権担当能力がない」との危惧に反発したものでした。しかし今、民主党は国民から受けている負託の意味を、真摯に冷徹に見つめ直さねばなりません。

正確には、小沢代表は「政権担当能力がないと思われている状況」と言ったのですが、今となっては言葉の綾を論う必要もありません。鳩山・菅の2代にわたって、大きな期待を受けては早期に支持を失ってしまった事実の重みを、民主党の一員として厳粛に受けとめています。

硫黄島の遺骨収集(2010年7月16日)

 菅総理が硫黄島の遺骨収集を強化する決定をして、厚労省・防衛省など関係省庁に指示をしました。南溟の孤島に戦後65年も放置してきたままだった問題ですから、シベリア抑留補償と同様、こういう課題が民主党になって進むことを、世論も正しく評価して欲しいものです。「何も変わらない」でなく。

 硫黄島は私も2回、視察で訪島しました。高温高湿の壕内などの作業は大変な労苦を伴うでしょうが、しかし為さねばならない責任があります。私は、硫黄島を立入禁止の島とするのでなく、高校生などの研修施設を作るべきだと考えます。或いは、収集をすべての公務員や議員が分担するのも一案。

新議員会館への引越し(2010年7月15日)

選挙が終わって地元から上京したら、議員会館の廊下には段ボールがたくさん積み上げられていました。新しい建物が竣工して、今週末に移転するからです。豪華すぎると批判もされていますが、私にとっては書類と本の山から抜け出せるのが何より助かります。

新しい議員会館は、連休明けの20日(火)から本格稼働します。私の部屋は第2(国会裏、真ん中の棟)の11階、1112号室です。電話は衆議院代表が従来どおりの03-3581-5111番。内線71112 です。直通、FAXは今までと変わりません。

八高線と琉球・沖縄(2010年7月14日)

 群馬県境の神川町で開かれた八高線電車化期成同盟会の総会に出席。高崎から八王子を経て横浜の開港場を直線で結んだ街道は、絹の道といわれて近代化に貢献した歴史がありますが、単線・ディーゼル車輌のままでは宝の持ち腐れ。環境と移動権を重視する交通基本法をテコに、幹線化を目ざすべきです。

 夜は「琉球と沖縄という名称の由来」と題する講演を拝聴。それぞれに歴史的な意味と、対外関係の背景があって、深く考えさせられました。明治以降だけでも琉球藩、沖縄県、琉球政府、沖縄県と変遷しているのです。

参院選に敗北、改選第1党を譲る(2010年7月12日)

 参議院選挙の結果が出ました。昨年夏、「政権交代。」に期待して多くの票を民主党にお寄せ頂いた方々に、少なからず失望の念を感じさせてしまった結果が、この「44議席」だと思うと誠に申し訳なく、私からもお詫びを申し上げます。

 私の地元の埼玉県選挙区(定数3)も2議席獲得を目ざし、新人の大野元裕さんが当選したものの現職の島田智哉子さんが惜敗してしまいました。得票は2人とも55万票前後(3位の大野557,398票、次点の島田544,381票)で、票割りは芸術的でしたし、意図を理解して下さった支持者の方々に敬意を表しますが、敗れた陣営(私の埼玉10区は島田支援重点区)は当然ながら意気消沈します。責任は重点区割りを主導した県連でなく、10〜30万票の目減り*を招いた側にあります。

 2トップの辞任で得られた虎の子の支持率を、いとも簡単に放り出してしまった菅さん。なぜ? 判断ミスを止められなかった党と政府の中枢幹部は、全国の同志の声に、まず率直に答える必要があるでしょう。

 予想された結果が予想の通りに出て、きょうから政治が大きく動き始めます。

*04年の民主票は119万票、07年は141万票ありましたが、今回は計110万票。

政治を動かすダイナミズム(2010年7月1日)

 山岡広報委員長のもと、代理を続けます。

 鳩山前首相の退陣表明が6月2日。それから一ヵ月とは思えないほど劇的に、世も、世論も動いています。

 首相の交代に伴って支持率がV字回復するのは、世論調査の専門家には自明の理。もちろん、その効果が発現するには多少の条件が必要ですが、菅直人首相の誕生は完璧に近い出来ばえでした。

 偶然? それとも誰かの意図? 飛び交う諸説も、いずれ歴史が解明してくれます。

(『プレス民主』2010年7月2日発行 236号)

与党議員は待つのが仕事(2010年6月11日)

 国会が最終盤を迎えて緊張の度が増しています。野党から委員長の解任決議案が乱発され、議事日程が予定どおりに動きません。

 5月18日の本会議は13時の開会予定が20時40分に延び、25日は17時40分、27日は17時35分でした。私は議院運営委員もしていますので、正午の開会が小刻みに延びるのを、ひたすら待つのです。

「政治とは待つことなり」と喝破して議員は成長します。郵政法案に連立離脱。今日も長い一日が始まります。

(『プレス民主』2010年6月4日発行 234号)

「普天間」を猛省します(2010年5月29日)

5月28日、鳩山首相は沖縄・宜野湾市の普天間飛行場の移設先を「名護市辺野古周辺」とする政府方針を閣議決定しました。これに先立ち、署名を拒んだ消費者担当相の福島みずほ社民党党首を罷免。鳩山内閣は発足以来、最大の危機を迎えました。

昨年8月の「政権交代選挙」を前に、沖縄を訪れた鳩山代表は「できれば国外、最低でも県外」と明言しました。すでに完成していた民主党のマニフェストには記載されていませんでしたが、「代表の言ったことは党の公約と同じ」(小沢幹事長)ですから、言い訳は出来ません。

政権担当以来8ヵ月、鳩山首相が「辺野古以外」を模索してきたのは事実です。しかし、政府の責任ある立場の政治家たちが、力を合わせて鳩山首相の思いを実現しようと職責を全うしていたかについては、率直にいって疑問があります。私自身は、この分野の担当でも専門でもありませんでしたが、数多く開かれた沖縄基地問題の検討会に参加し、鳩山首相の側近として「密使」を務めた同僚議員に話も聞き、進捗状況に一喜一憂、というより次第に憂慮を深めていました。

したがって、鳩山首相の「腹案」が徳之島だとは早くから知っていましたが、首相自身が3月31日に「腹案がある」と答弁した後は、私の知らない別の腹案があって欲しいと祈るような気持ちでした。それも空しく、5月4日の沖縄訪問以降は、過去のそれぞれの時点で別の選択をしていれば、と思わざるを得ませんでした。

失敗を乗り越えて…、改革続行

普天間問題は政権交代以来、最大の失敗です。しかし、これで政権交代そのものの意義が薄れるものではありません。自民党およびその前身による政権が60年以上も続いて、政・官・業の癒着の構造にからめとられてしまった日本の政治。その淀みと澱(おり)を除去する大仕事は、まだ始まったばかりです。少子化は子育てや教育への投資を怠ってきた旧政権の失政の結果です。日本はもはや教育先進国ではありません。92年まで1位だった競争力も27位まで落ちています。商店街の不振もそうです。年金制度への信頼も損なわれました。受けられる医療にも所得と地域で違いがあります。農業は衰退し、食料自給率は先進国最低の40%です。格差が開き、世代で固定化し、天下り官僚だけに安心・安全な老後が保障されているのです。

自民党に政権が戻って、「事業仕分け」が継続すると思われますか。小党分立の多党化時代に逆戻りして、改革が続行できるとお考えですか。鳩山内閣は未熟ゆえに普天間で失敗しました。その他の幾つかの政策課題も、迷走しているものがあります。しかし、この失敗と迷走で「民主党政権」が見限られることを、一番喜んでいるのは旧体質の政治を復活させたい人たちなのです。

私たちは失敗を猛省します。だからこそ心を引き締めて、安定感のある強力な政権基盤を再構築して、改革を続行いたします。

全員の意見が一致するとき(2010年5月28日)

 往年の名著『日本人とユダヤ人』で「全員一致の結論は無効」とするユダヤの慣習法を知り、「和を以て貴しと為す」日本の青年だった私は衝撃を受けました。成熟した民主主義の下では全員の意見が一致する方が不自然との考えが新鮮でした。

 軍国主義全盛の時代に斎藤隆夫を除名してしまった帝国議会ですら7人の反対議員がいました。対日開戦を議決した米国議会でも、ジャネット・ランキンはたった一人で反対票を投じたのです…

(『プレス民主』2010年5月21日発行 233号)

世は連休。それでも議員は…(2010年5月7日)

 連休の前も後も、民主党議員は多忙です。目白押しの法案審議に加えて、1回生は事業仕分けの調査、2回以上はマニフェストの検討など朝から晩まで息つぐ間もありません。

 各省の政策会議は8時に始まるので、7時35分に宿舎を出るバスは超満員。9時から国会の委員会審議、1時の本会議を挟んで、また委員会。夕方には党の会議が3つも4つも重なる。その後に質問の準備…。連休が息抜きになる人は、ほとんどないでしょう。

(『プレス民主』2010年5月7日発行 232号)

礼に始まり礼で終わる美風は?(2010年4月9日)

 本会議場で議長を迎える時は、同僚議員は必ず起立します。退場の際も議席で立ったまま議長を見送ります。が、自民党はサッサと席を離れて出口に急ぐ議員が多いのです。

 最初は違いました。習い性で立ったようですが、今は誰が注意したのか立ちません。与党が与党慣れせず、野党も野党慣れしていない、と言われます。しかし、政権が変わったのですから、与野党ともに、礼に始まり礼で終わる美風を立てても悪くはないのに。

(『プレス民主』2010年4月2日発行 230号)

政権交代が断つ「惰性」の政治(2010年3月26日)

 日米安保条約や沖縄返還をめぐって、日米両政府が交わしていた密約が明らかに。というより、外務省が認めたことが政権交代の効果といえるでしょう。

 ライシャワー元大使らの証言や米側の公文書公開で明白なのに、最近まで安倍元首相も麻生前首相も否定していた空々しさが、映像とともに甦ります。

 余りに永く続いた自民党政権ゆえ、改めるべきを改めなかった惰性の政治。官僚の不作為。もはや他人事(ひとごと)とは言えません。

(『プレス民主』2010年3月19日発行 229号)

自民系も認める人材の豊富さ(2010年3月12日)

地元の体協の50周年式典で、茨城2区の石津政雄代議士が記念講演。知る人ぞ知る生涯スポーツの権威ですから企画は当を得ていますが、従来なら異例の人選。なにしろ聴衆の役員や議員はほとんどが保守系・自民系の人たちなのです。

その彼らが、魅力的な話に引き込まれた末の感想は、「民主党には人材が一杯いるね」と。「気がつくのが遅いよ」と言いたいけれど、それもこれも「政権交代。」の根底要因というべきか。

(『プレス民主』2010年3月5日発行 228号)

民主党議員は理系も多い(2010年2月26日)

国会では文部科学委員会の理事をしているので、今日も再生医学の次世代戦略の説明を聞きました。昨秋の事業仕分けの報道ぶりから、新政権の科学技術政策に懸念をいだく方もありますが、杞憂のようです。

民主党の中堅若手には医師や理学系・工学系の議員が数多く、政策会議も概ね専門的知見に基づいて進行します。第一線の科学者からも、旧世代の学界・学閥意識を超えた、より有効な変革への期待の声が聞かれます。

(『プレス民主』2010年2月19日発行 227号)

ヤジ将軍との戦いの現場(2010年2月12日)

 テレビや新聞でヤジへの批判が高まっています。議論の中身をよく理解しユーモアに溢れたヤジは、痛烈、辛辣でも議場に笑いをもたらしますが、品性を欠くだけものは、とても「国会の花」とは言えません。

 実は、本会議場の私の席は自民党席との境界にあり、総理や大臣の演説中、野党のヤジ攻撃の最前線になります。自民党には体格もよく声も大きいヤジ将軍が何人もいるので、まるで戦場のような雰囲気です。

(『プレス民主』2010年2月5日発行 226号)

党本部版『プレス民主』の編集後記を書いています(2010年2月1日)

毎月2回、党本部の『プレス民主』が発行されていますが、私は広報委員長代理として、その編集責任者となりました。そして年初から、最後の8ページ左下隅に、「編・集・後・記」を書いています。

 

政権党の機関紙として(2010年1月8日発行 224号)

小川敏夫広報委員長のもと、代理として『プレス民主』を担当することになりました。今まで「見て」「読んで」「配る」立場で感じていたものを、少しでも今後の紙面に反映できればと思います。

政権党の機関紙は、情報量もその価値も従来とはおのずと変わってくるはずです。規格や体裁は伝統を踏襲しながら、中身で味わいの違いが出せたらと思います。

本号が新年第一号です。「明けましておめでとうございます」

 

最近の永田町は何かが違ってるぞ(2010年1月22日発行 225号)

民主党の党大会が終わり、通常国会も召集され、永田町は各党の議員たちで賑わいを取り戻しました。それでも「政権交代。」前とは、何か様子が違います。

まず黒塗りの車が少なくなりました。お抱えの運転手さんを呼び出すスピーカーの音も静かです。地下鉄の駅で大臣・副大臣たちと出くわすこともあります。

私一人の感想ではありません。永年、この街を見てきた記者さんたちも言います。これが「静かな革命」なのだ、と。

平成22年の年頭にあたって(2010年1月1日)

衆議院議員 松崎哲久

かすかに響く鐘の音を聞きながら、2010年、平成22年が明けました。清々しい朝を迎えて、「ゆく年 くる年」を思います。

昨年は8月30日の総選挙で民主党が圧勝。私も4年ぶりに議席に復帰しました。9月16日には鳩山由紀夫内閣が発足し、「政権交代。」が現実のものとなりました。それから3ヵ月半、一部に迷走した課題もありましたが、「国民の生活が第一。」の目標に近づくための様々な取り組みを続け、予算編成が完了した時点では、おおむね国民の皆様のご期待にかなう線に落ち着けたのではないかと思います。もちろん、新政権になって100日の成果という意味です。多くの政策目標は、今後、4年近くをかけて実現していかねばなりませんが、そのための改革は緒についたとの評価がいただけるのではないでしょうか。

新しい年は、この改革を着実に進めていく年です。鳩山内閣の大臣・副大臣・政務官たちは、前政権と比べて、はるかに存在感があります。官僚まかせで顔が見えず、言葉も発しなかった自民党の政務三役とは違って、政治主導で省庁を動かしている気概にあふれています。自信に裏打ちされた、淀みない発言を見るだけで、「政治は変わった」という実感につながるでしょう。「事業仕分け」で次々に露呈した自民党時代の政治行政のムダづかい。仕分け人たちの物の言い方、さらには考え方に多少のご批判も出ましたが、議論そのものが公開され、誰の目(といっても、主権者)にも明らかになったこと自体を非難する方は皆無でしょう。私たち民主党は、長く続いた自民党の政策決定のスタイルをゼロから見直す壮大な作業に着手したのです。

この道のりは平坦なものではありません。自民党が確立してきた政策決定システムは、選挙や、財界はじめ各種団体との関係、さらには官僚主導や天下りの横行にも密接に結びついた政治の仕組みそのものに由来しているからです。つまり、「コンクリートから人へ」と言うのは簡単ですが、それを達成するためには、旧い自民党型政治システム総体を破壊して、それに替わって新しい時代に対応できる民主党型政治システムを築き上げなければならないのです。

2010年は、その「静かな革命」が進みます。また、進めねばならないのです。「静かな」とは、流血を伴わないという意味です。現実に人体から血は流れませんが、比喩として言う「血を流す」必要はあるでしょう。そこまで根本的に政治のあり方を変えなければ、「国民の生活が第一。」にはなりません。この1年、まずは7月の参議院議員選挙までを第1期として、民主党と私の努力を続けてまいります。

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