野田新内閣で再出発(2011年9月25日)

 野田佳彦新代表は9月2日、新内閣の任命式・認証式に臨みました。その後、鉢呂経済産業大臣が辞任し枝野幸男氏が後任になる一幕もありましたが、内閣支持率は各社とも概ね60%でスタートし、順調な首相交代が実現しました。

 野田内閣の滑り出しは各方面の予想に反しているようです。マスメディアは、代表選挙の構図を親小沢vs.反小沢の対決と規定することに精を出しましたが、選挙後の融和路線の確立で抗争再燃は回避されています。野党とくに自民党は、早期の解散追い込みを考えていたようですが、まず支持率のV字回復で当てが外れ、民主党内の対立も収束しつつあって、分裂・政界再編も実現性が薄れています。むしろ自民党の方が、役員人事等をめぐって火種が大きくなるかも知れません。

 民主党内の雰囲気も、予想外れという点では同様です。しかし、それを多くの議員は好感しています。なぜなら、(1)代表選挙後も党内抗争は激化するのではないか、(2)民主党政権はもう続かないのではないか、(3)したがって分裂は不可避ではないのか、という危惧や懸念を持っていた議員が多かったからです。しかし、その思いに反して(実は強い危機感を共有していたからこそ)、今、再出発へ向けての勢いが加速しつつあるのです。

 一昨年の政権交代以来、すでに2年が経過しています。任期満了までの折り返し点を回り、この内閣で成果を挙げない限り展望は開けないのは明らかです。だからこそ、野田新体制において与えられた新しい役職に打ち込み、司・司(つかさ、つかさ)で全力を尽くすしかない、と多くの議員が思っています。そして野田総理も党の執行部も、前内閣では掛け声倒れだった挙党一致・全員野球を実行できるような人事配置に心がけてい(るように見え)ます。これが「見えるだけ」なのか、実際にそうなのかは予断を許しませんが、政府・与党内にいる立場の重みを全員が感じている限り、民主党政権は力強く再生していくと信じます。

 「為すべきを為す」のが政権党

 今、民主党の議員たちは、第3次補正予算案の編成、そして平成24年度当初予算案の概算要求と税制改正の作業に没頭しています。野党とマスメディアは国会の会期の長さだけを論じますが、政府と与党は国会の開会中だけ仕事をするのではないのです。政府は毅然として為すべきを為せばよいのですが、前内閣の末期には「為すべきことを為していない」という批判を受けていました。だからこそ、政権与党の責任を果たす作業に専念できる今の環境を大切にしたいと思います。

 国民の皆さまに醸成されてしまった失望感を、ある程度の評価に変え、再び期待につなげていただくために、あと2年は十分な時間ではありません。しかしながら「どん底」を経験した与党だからこその底力を、今こそ発揮したいと決意しています。

民主党政権のラストチャンス(2011年9月8日)

 9月2日、野田佳彦新内閣が成立。支持率も大幅に回復しましたが、民主党としてのラストチャンスと自覚し、今度こそ党内融和と「国民の生活が第一。」の原点に立ち帰った政策推進に心がけて参ります。

 政府・与党の人事も刷新され、私は、事前承認制など権限強化が唱えられております政策調査会の副会長に就任、あわせて国土交通部門会議の座長を務めることになりました。前任の文部科学部門座長においては、教育・学術研究・スポーツ・文化芸術の各分野にわたり、また原発事故関連の政策にもたずさわり、政権党の一員としての責任を痛感する日々でした。1期目は国土交通委員会に属し続けていましたから、2期目のスタート時に文部科学に転属になった際は、「コンクリートから人へ」と、当時の民主党のキャッチフレーズ通りの挨拶をしたものでしたが、今回は何と言いましょうか。

 それにしても、鳩山内閣、菅内閣と2代にわたり政権運営が混迷したことは痛恨の極みです。この2年間の失敗の経験をどう活かせるかが、野田内閣のみならず民主党の、更には政治を国民の手に取り戻す改革の命運を左右するのだと、多くの議員が肝に銘じていると思います。あと2年、時間は十分とは言えませんが、焦りも禁物。腰を据えて、それぞれがその職責を果たすべく努めることが必要だと思います。

ツイッターより(2011年3月17日)

 このたびの地震・大津波で被災された方々に、謹んでお見舞いを申し上げます。私も一市民としては政府(現政権だけでなく旧政権・官僚・企業等を含めて)に対し言いたいことは山ほどありますが、野党の皆さんも「協力しよう」としている時に、与党の一員が何も言うべきでないので控えます。

 私も、友人・知人には両親を失った人、配偶者や子供を亡くした人、不明の人が複数います。みんな同じです。でも、立ち上がらなければならないし、そのために助け合って、全力を尽くすしかありません。持ち場、持ち場で頑張るのみですから、いたずらな批判は慎みましょう。

 しかし、いつも切り捨てられてきた「郡部」の人間として、これだけは言います。今、私の近くでは1両の電車も走っていません。同じ路線でも都心、区内、郊外区間は動くのに。なぜ? 切り捨てになる理由を説明してほしい。地域エゴからではありません。私の支持者も非支持者も、ただ知りたいのです。

(2011年3月15日付)

ツイッターより(2011年3月8日)

 時ならぬ「春の雪」に、地元だけでなく都心の国会周辺もうっすらと雪景色。前原外務大臣の辞任で3月政局がどう展開していくのか、与党は予算への責任と、もっと大きく統治そのものへの責任があります。そういえば去年は、4月にも雪が降りました。鳩山首相招待の「桜を見る会」の朝…。

(2011年3月7日付)

 地元の嵐山町鎌形は木曽義仲の生誕地です。で、毎春に義仲や遺児義高を顕彰する会を催しています。私の挨拶は「義仲は頼朝に先立って征夷大将軍に任命されたが、世の人はその事実すら忘れている。平家追討の功労者を、同じ源氏が仲間割れして抹殺した。歴史の非情と言えばそれまでだが…」と、寸止め。

 歴史が大きく動く際には様々なことが起きます。革命には反動が付きもの。幾多の先覚者が、僅かの時の差で非命に斃れます。しかし、「それでもなお」と立ち上がる勇気と持続力をもった少数の者のみが、時代を進めてゆくのです。今、誰が誰をとは言わぬが花でしょうが。

(2011年3月6日付)

歴史的検証こそ明日を築く(2011年3月3日)

 3月2日、「政策論議中心の民主党にするフォローアップ会議」(世話人は櫻井充財務副大臣、筒井信隆農水副大臣、松井孝治元官房副長官、北神圭朗拉致特筆頭理事で、いわゆる「中間派」と報道されています)の2回目会合がありました。

 開会前、机の上に置かれていた文書に目を通した議員たちは、皆、押し黙ってしまいました。2009年8月30日の深夜に発表された鳩山由紀夫代表の「勝利宣言」ともいえる声明(末尾に掲載)と、9月16日に鳩山内閣の初閣議で決定された「基本方針」でした。私を含めて、出席した議員たちが「粛として声なし」の状況になったのは、この勝利宣言と基本方針の中身に、一様に衝撃を受けたからです。それぞれの青春時代が甦ったような、まさに甘酸っぱい「共感」という衝撃でした。

 何人かの後に私も発言を求めて、「今や『歴史的古文書』となってしまったこの理念を、民主党政権において何ゆえ実現できなかったのか。政府に入った議員、党執行部を構成した議員、その他すべての議員たちが、あの8月30日には共有していた理念と現状の惨憺たる有様との落差に責任があるはず…、その失敗の検証を敢えて厭わぬことのみが民主党政権の再生につながる」と述べました。出席者の1人だった山岡賢次代議士会長は、私が『歴史的古文書』という褒め言葉を使ったことを褒めてくれましたが、大半の議員は「古文書」に皮肉のニュアンスをより強く感じたようでした。

 私は、「歴史的古文書だけど、この勝利宣言は『五箇条の御誓文』のように、後世、常にそこに立ち返って勇気を奮い起こす力を持つ」とも申しました。確かに、僅か1年半で「歴史」として論じなくてはならなくなった展開は悲しい限りです。しかし、この歴史的検証を真摯におこなうことで初めて、「政権交代の虚と実」、そして「政治主導の明と暗」が明らかになります。

 私は、09年9〜10月の政権始動期に、小さなボタンのかけ違いがあったこと、それが修復されないまま拡大し、さらに様々な要因が加わってしまったことを認識していますが、内閣・各省の政務三役(大臣・副大臣・政務官)、党執行部を経験した議員たちが歴史的検証に加わることで「失敗の本質」がより明快になるでしょう。

 自民党も、最初から巧妙な統治システムを築き上げていたわけではありません。激しい権力闘争を繰り広げる一方で政権党としての責任を問われ続けて、超長期政権の土台を堅固なものにしたのです。自民党政権が安定期を迎えるのは14年後、最盛期は30年後だったことを思えば、1年半は助走期間にもならないでしょう。今こそ民主党議員の真価が問われる時です。

 

国民のさらなる勝利に向けて 2009/08/30

民主党代表 鳩山由紀夫

 このたびの選挙で国民の皆さんは、勇気をもって「政権交代」を選択していただきました。また、民主党に圧倒的な議席をいただきました。

 民主党代表として、国民の皆さんに心から感謝申し上げます。

 同時に、今回の総選挙の結果を民主党全体として、厳粛な覚悟を持って受け止め、その責任を果たしていく決意です。

 今回の総選挙は、自民党を中心とした与党連立勢力対民主を中心とした野党連立勢力が真っ向から対峙し、政権交代を賭した政党選挙が繰り広げられ、政権交代が実現されたという点で日本の憲政史上初めてのケースであり、本日はまさに歴史的な一日となりました。

 私は、今回の選挙結果を、単純に民主党の勝利ととらえてはおりません。国民の皆さんの政治へのやりきれないような不信感、従来型の政治・行政の機能不全への失望とそれに対する強い怒りが、この高い投票率となって現れたのだと思います。

 その意味では、民主党や友党各党はもちろん、自民党、公明党に投票なさった皆さんも、誰かに頼まれたから入れるといったしがらみの一票ではなく、真剣に、日本の将来を考えて一票を投じていただいたのではないかと思います。この夏は、多くの国民が、真剣に日本の未来を考えた四十日間だったのではないでしょうか。そうだとすれば、この選挙、この政権交代の勝利者は、国民の皆さんです。

 私は、この歴史的な出来事には、三つの意義があると考えます。

 それは三つの「交代」です。

 第一には、当然のことながら、政権の交代であります。

 戦後長く続いた自由民主党による事実上の一党支配の弊害は明らかです。

 そうした政治体制を招いた一端は、野党の政権担当意思の欠如でありました。今回の結果を機に、政党は互いの揚げ足取りや批判合戦の政治ではなく、各政党がその長所を発揮し、政策面でしのぎを削り、議会制民主主義を発展させ、国民にとって政治を前進させる、真の意味での責任ある政党制を実現してゆかなければなりません。

 第二には、古いものから新しいものへの円滑な交代と融合です。

 今回、多彩な新人議員が非常に多く当選させていただきました。たとえ永田町での経験が不足していても新鮮な感覚で政治や行政体制を刷新せよとの国民の皆さんの変化への期待、古い体質から新しい改革への審判を重く受け止めさせていただきます。

 私たち民主党は、ベテラン・中堅・若手、そして男性と女性、さまざまな経験、経歴を持った人間が、それぞれの持ち味を出し合い、世代と性別を超えた力の融合を図り、改革を実現することに全力を傾けて参ります。

 第三には、主権の交代であります。

 国民の皆さんは、長く続いた官僚支配・利権政治を終焉させ、本当の意味での国民主権、機会均等の、公正かつあたたかみのある政治を望んで、一票を投じていただきました。

 かつて戦後の復興と高度成長期に、志ある政治家と粉骨砕身の努力を惜しまなかった官僚たちの努力が大きな役割を果たしたことを国民の多くが記憶しています。

 私たちは、政治と行政が誰のために存在しているか、もう一度、その原点に立ち戻り、国民と政治家と官僚との関係をとらえなおさなければなりません。

 私たち民主党は、「政治主導」が、単に政治家の官僚への優位を意味するのではなく、常に国民主導・国民主権を意味しなければならないことを肝に銘じなければなりません。

 「官僚たたき」「役人たたき」、そういった誰かを悪者にして、政治家が自らの人気をとるような風潮を戒め、政治家自らが率先垂範して汗をかき、官僚諸君の意識をかえる、新たな国民主権の政治を実現していきます。

 民主党は、議員一人ひとりが、この大勝に酔いしれることなく、数に奢ることなく国民の皆さんからいただいた議席の意味を深くかみしめたいと思います。

 党利党略や反対勢力への意趣返しに走り、政権交代そのものに浮かれてはならないことを銘記します。

 民主党は、国民の怒り、政治への不信を真摯に受け止め、これまでの負の遺産を一掃し、身動きの出来ない政治・行政の体制を根こそぎ見直して、政治・行政の停滞を打開していきます。

 それを成し遂げて初めて、民主党及び各政党は勝利への道のりを歩み始めることが出来るのだと思います。

 もちろん政治改革だけが、政府の仕事ではありません。

 直近の景気回復や、年金などの諸問題、さらには三十年、五十年先を見据えた、日本の国のあり方を大胆に問う政策も実現させていきたいと考えています。

 戦前、日本は、軍事によって大きな力を持とうとしました。戦後は経済によって国を立て直し、国民は自信を回復しました。しかし、これからは、経済に加えて、環境、平和、文化などによって国際社会に貢献し、国際社会から信頼される国を作っていかなければなりません。

 アメリカと中国という二つの大国の間で、しかし、日本が果たせる役割は小さくないはずです。

 私たち民主党は、日本に暮らすすべての人々が、誇りを持って生活を送れる、新しい国家の形を提言していきたいと考えています。

 私は、本日の国民の皆さんの審判に基づき、明日にも、政権の移行が円滑かつ速やかに行われるよう準備を開始いたします。同志とも協議を進めつつ、現内閣に対しても、国民本位の政権移行に向けて協力を求める必要があります。

 民主党は、新政権の発足とともに、わが国の政治・行政の大刷新にとりかかります。同時に、国益、国民の利益の観点から、必要な措置については、麻生政権の取り組みについても是々非々で判断し、継続発展させていくべき事項も存在すると考えます。喫緊の課題である新型インフルエンザ対策や、安全保障面での脅威への対処、各種の災害への備えなどがまさにそうした政策課題です。

 本日が、国民のさらなる勝利に向けたたたかいの初日となること、民主党は、そのたたかいでの勝利を目指して、これから険しく長い旅路を歩まなければならないことを胸に刻み、これからの一日一日に全力をつくします。

 国民の皆さんのご支援とご協力を心からお願い申し上げて、民主党を代表して私からの御礼と今後の決意とさせていただきます。

ツイッターより(2011年3月2日)

 予算委員会の採決と本会議の開会待ちの一日です。深夜あるいは明日まで持ち越しになるとの見通しもあります。週末、26日に埼玉県連の定期大会がありましたが、そこで「我々は、これまで『国民の生活が第一』を最大の目的としてきたし、これからも目的としていくことを誓う」と決議がされました。

 フロアで聞いていた私(=執行部でないので)は、この文言を決めて党本部に怒られないのかと思いましたが、黙っていました。統一選挙を戦う地方議員たちの悲痛な叫びだからです。「政権交代の歴史的意義を決して忘れていないし、これからも確信していく」という声が届かないもどかしさを拭えません。

(2011年2月28日付)

ツイッターより(2011年2月24日)

 昨晩(17日)、ある大臣を囲む会に10数人の同僚議員が集まって懇談。本題は別として、16人の会派離脱問題について各事務所への反応がどうだったかが話題に。「凄いネという電話しかなかった」と語ったのは誰もが知る有名議員。大半は…

 例によって新聞・テレビは大批判の連呼でしょうが、私たち個々の議員の事務所へは、昨日の段階では大半が「何もなかった」「ほとんどなかった」ということでした。世の人々は投じられた一石の重みに迷っているのでは? 菅内閣、民主党政権がこのままでいいとは誰も思っていないでしょうし。

(2011年2月18日付)

ツイッターより(2011年2月14日)

この連休はしっかりと地元活動をしていますが、12日午後は上京して小沢一郎政治塾に参加。大下英治氏の講演を3時間拝聴、この10数年、民主党と自由党の、また、小沢・鳩山・菅の三首脳が織りなしてきた政治史を、主に人間模様の面からおさらいしました。その一角に自分もいた同時代史です。

夕方は地元へ戻って、あるスポーツ団体の新年会。「ツイッターを見てますよ」とか、「ホームページをチェックしてます」と言われると、一言、一行書くのにも気合が入ります。地元での会話には、思いを率直に語るのが一番と、いつもながら思います。一人一人と真剣勝負は少し疲れるけれど。

(2011年2月12日付)

6日、地元からバス2台で劇団四季の『マンマ・ミーア!』観劇ツアー。観劇会は26回目ですが、第1回が2004年11月9日、初当選から1周年目を記念し、電通四季劇場「海」を全館貸切で『マンマ・ミーア!』(MM)を観劇しました。MMは私が日本語台本を担当した作品でもあります。

MMは02年11月、「海」のこけら落としの演目でしたが、東京で2年余り、それから大阪、福岡、名古屋、広島、静岡、仙台を経て10年12月に東京再演に戻ってきました。6日は、初演でソフィとスカイの新婚コンビだった樋口麻美と阿久津陽一郎がドナとサムの母親世代を演じて、新たな感動も。

初演キャストには、作品を一から作り上げてきた仲間の感覚があります。麻美・阿久津は『南十字星』のリナと保科少尉としても苦楽を共にした同志です。それにしても、MMは『アイハブアドリーム』で始まり、終わりますが、この言葉、キング牧師が使い、そして小沢一郎のフレーズでもあります。

(2011年2月7日付)

ツイッターより(2011年2月7日)

 埼玉県の西北地区の郵便局長会の総会が秩父市であり、出席しました。埼玉10区内の比企郡市が西北地区だからです。秩父は埼玉11区で小泉龍司代議士の地盤。城内実代議士と2人会派を組む小泉代議士は郵政改革法案に賛成ですから、民主・国民・社民と合わせて「3分の2」は確保されています…

(2011年2月5日付)

 節分。個人的には季節の変わりと共に気分が一新した事情もありましたが、国会に目を転じれば先行きの不安ばかり。私も法案を幾つか預かる立場にありますが、2月末、3月末、4月末と、越えるべき(だが容易でない)山が見えてしまいます。

(2011年2月3日付)

タイガーマスクという偶然(2011年1月28日)

 年末、政権党で税制改正に携わった議員たちは、今年が「寄付文化元年」になることを確信していました。鳩山前首相の肝煎りで、「新しい公共」の考え方を政権の意志とし、担い手としての寄付を根づかせるための制度や税額控除を大胆に認めたからです。

 将来、2010年はこの変革で記憶されるかも知れません。日本人が「共に生きる」ことの意味に目覚めた年であり、偶然にも、その直後からタイガーマスク現象が始まった…

(『プレス民主』2011年1月21日発行 248号)

ツイッターより(2011年1月26日)

24日、通常国会召集。初日は手続き的な会議が多く、朝から忙しい。先の内閣再改造に伴って、国会と党も小幅の人事異動あり。私は政調の文部科学部会の座長は継続、広報委員長代理は退任。馬淵新広報委員長は気をつかって、わざわざ私の部屋まで来て伝達。後任を聞いて成る程。

(2011年1月25日付)

ツイッターより(2011年1月21日)

 内閣改造について、私が何も発言していないのは事実です。「つぶやけ」という声も聞こえてきますが、私も民主党政権の一員です。批判のための批判は己れの信条に反します。まあ、「内閣の発足に当たってどう名付けるか」式の質問があったとすれば、『不条理内閣』と答えますけど。

 人事について「不条理」と感想を述べた大臣がいたからですが、不条理は否定的意味とは限りません。古来、進歩には不条理がつきものとも言えます。この内閣には先例破りが幾つもありますが、「だから非」と断じても意味はないでしょう。効果が上げられるかどうか、その結果が問われるのみです。

(2011年1月20日付)

「官僚まかせ」からの脱却(2011年1月13日)

 官僚主導から政治主導へ。大きな変化が国会では起きています。自民党政権の時代、国会の委員会審議は、大半が大臣にかわり官僚が答弁していました。しかし、政権交代後は大臣自身の答弁が増えた上に、補足するのも議員の副大臣と政務官になりました。

 自民党時代は盲腸と揶揄された副大臣・政務官が、政治主導の重要な担い手に変わっています。本号の政務官座談会に加え、『議会政策情報』試行版は数字で検証しています。

(『プレス民主』2011年1月7日発行 247号)

ツイッターより(2011年1月6日)

 菅さん、戦う相手が違うのではないですか? 今、民主党議員が為すべきは、一致協力して民主党政権の再生を期すことしかないはずです。参議院の過半数を失って臨んだ先の臨時国会で、最前線の兵士たちがどれほど苦しんだか。大本営の最高指揮官たる菅さんが理解してないのではと、悲しくなります。

(2011年1月5日付)

ツイッターより(2011年1月5日)

 新年会、地元は既に2日から、中央は5日に始まります。それから地元・中央とも連日どこかしらで開かれ、23日(日)で山を越えます。もっとも2月中旬までポツポツ続きますが、24日とか28日に通常国会が召集されますので、その前後から日程は国会優先になります。私の事務所は5日始業です。

(2011年1月3日付)

ツイッターより(2011年1月2日)

 平成23年、はつ春のお祝いを申し上げます。例年どおり元旦は宮中に参内、午後は小沢邸へ。夕方は家族一同で赤坂の氷川神社に初詣で。皇居では正殿の儀式が始まる前に控室で与野党、衆参の議員たちが交歓するのですが、昨年に比べ民主党議員は心なし精彩なく、自民党議員が元気復活の趣きでした。

 小沢邸の新年会は国会議員が約100人。前・元議員や配偶者、その他の来賓を加えて150人程でしたが、2部制の去年より少し減ったのは織り込み済み。乾杯の発声をした菅副総理(当時)も、最前列でにこやかに挨拶していた蓮舫仕分人も今年は姿を見せなかったのですから、数が減るのは当然でしょう。

 赤坂氷川神社は、江戸時代の1730年に8代将軍徳川吉宗が近隣の数社を集めて創建した「新しい」神社です。その境内は旧三次(みよし)浅野家の下屋敷で、私の小説のヒロイン瑤泉院浅野阿久利が幼時と、赤穂浅野家の改易後に過ごした故地でした。そこで毎年、ここに参詣することにしています。

(2011年1月2日付)

年初にあたり民主党政権の再生を期します(2011年1月1日)

昔、受験英語を学んだとき、Compromise is the essence of democracy in England(英国では、「妥協」が民主政治の精髄である)という一文を見て憤慨したことを思い出します。日本が近代化を達成したものの、軍国主義による敗戦の蹉跌を経て初めて獲得した民主主義の理想を、何かおとしめられたように感じたからでしょう。

その言葉を今、改めて思い出すとともに、成る程、深い意味があったのだと、噛みしめています。社会人として長い経験を積む中で、1)理想を追い求めることの大切さと、2)その理想は実現されないと意味がないこと、3)実現するためには理想を主張するだけでなく、反対する相手と合意する必要がある――ということを身をもって体験してきたからです。

一昨年の9月に政権交代が実現して以降、民主党の掲げた種々の理想を信じて投票して下さった支持者の皆さまに応えるために、民主党政権は気負って、理想をマニフェスト通りに実現しようと急ぎました。…そして鳩山内閣は倒れ、続く菅内閣は「脱小沢」に走り、野党対策の妙手も見いだせないまま支持率も20%台に落ち込み、息も絶えだえで新年を迎えてしまいました。

私は、民主党が掲げた改革の理想は正しいと、今も思っています。しかし、改革を推進するには抵抗勢力が生じます。改革の結果で損する人だけでなく、改革の道筋(たとえば財源論)について信念をもっている人たちも抵抗側に転じてしまう可能性があります。

官僚がその典型です。官僚は「利益」を失う意味でも抵抗勢力たりうるし、みずから為してきたことを否定されたくないという意味でも、自分たちのやり方を貫きたいという観点でも、改革に逆行する拠点となる怖れは否めません。

改革の理想は正しいが周到さに欠けると…

たとえば「天下り先」について。その温存が「利権」を守るためなら論外ですが、官僚もまた、生活者であることに変わりはありません。退職後の生活設計が成り立たなくなるほどに切り捨ててよい存在だとは思えないのです。戦後政治の中で官僚が機構として貢献してきた事実を否定することは建設的でなく、その有効活用を図るべきです。もちろん、新しい時代に即したやり方に頭を切り換えるよう、粘り強く説得することは必要でしょう。改革を進めるにあたって周到な準備のもとに目標を実現する役割を、官僚にこそ担って貰うことが賢明な策といえます。

既存の体制の中で仕事をしてきた業界、団体、地方自治体、さらには外国との接し方も同様です。民主党政権は、しばしば周到さに欠け、粘り強さに欠け、そして「妥協」を知らなかったために、今日の混迷の一因となったことを自覚し、反省すべきです。

妥協とは、立場が違う者どうしが、現実を一歩でも進めるために、「ここまでは」と譲るのを約束しあうことです。利害が対立する者――政治と官僚、政府と団体、大企業と個人、あるいは政党と政党が、対立する状況を少しでも解消するために、互いの主張をむき出しにすることを控えて、相手の立場を認めること。それが民主主義の原点にある思想のはずです。

達成されるべき政策も暗礁に乗り上げ

民主政治は、数で多数派を競います。しかし、一たん決まった数字を、関係する者たちの叡智によって改め直すことでもあります。民主党政権はこの点に失敗しました。鳩山内閣の閣僚たちが、粘り強さには無縁で、周到さに欠けた対応を繰り返したために、本来は達成されてもよかった政策すら暗礁に乗り上げてしまった例がいかに多かったか。平成22年度予算については、見かねた小沢幹事長(当時)が裁定して編成を終えたものの、その権力が強くなりすぎることを警戒した一部の勢力によって「反小沢」を大きな政治課題にされてしまう弊害を伴いました。

鳩山首相と小沢幹事長が共に辞任したのは、「政権交代。」の理想を貫くために、絶対に失ってはならない「参議院の過半数」を死守するためでした。しかし、その結果として得られた高支持率の回復を、菅首相はいとも簡単に手放してしまいました。何故なのか不可解ですが、それが現実に起きたことです。

結局、菅首相は「あつものに懲りてなますを吹く」の喩え通り、理想の旗そのものを降ろし始めてしまったのです。消費税率の引き上げに言及した「魔の6月17日」、そして国家戦略局の室への格下げや、予算編成のシーリング方式への回帰(「政権交代選挙」のマニフェストにおける予算の組み換え方式を諦めて)も同様です。そして脱小沢だけで支持率回復を図る「禁じ手」の魔力に取り憑かれてしまったようです。

年末、政権党にとって最重要課題は予算案の編成であることは政治の常識です。だからこそ連日のニュースは、その作業に最大の注目を寄せるのです。しかし、昨年末の記事は、「政倫審」一色に染まってしまいました。小沢前幹事長の「招致を議決?」、拒否をするなら「離党勧告?」などの見出しが踊り、予算案は霞んでしまう始末。小沢幹事長時代に目指された「陳情改革」も、平成23年度予算に向けては有効に機能したとはいえず、政策調査会の復活によって「族議員化」が忍び寄っているとも指摘されています。

今、民主党が「内輪もめしている場合でない」のは自明です。挙党体制こそ必要です。それなのに、2003年の民主党と自由党の合併以来、ともに手を携えて「政権交代。」を実現した仲間たちに、排除の論理を仕掛けているのです。私は1996年結党の「オリジナル民主党」のメンバーです。現在の民主党執行部も、その時から同じ目標を掲げて戦ってきた仲間です。今日の状況を憂える同志が、一人でも多いことを祈るばかりです。

衆議院議員 松崎哲久

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